ギルト

 私達の心には、幼い頃、つまり3歳くらい前で、それは思い出すことも出来ないのだが、養育者や家族に対して二つのギルトを持つようになると言われている。これは大なり小なり誰にでも存在するという。

 一つがセパレーションギルト、自分が自立すると・・・「母」が淋しい、悲しい、弱ってしまう、死んじゃうというギルト。もう一つは、家族の中の幸せの量は一定量しかなくて、自分が幸せ、自立に向かうと、親兄弟が傷ついてしまう、もっというと自分以外の家族が不幸になってしまい、自分だけが生きのこってしまい(成功してしまい)申し訳ないというギルトである。親に責任があるわけでもない。親子関係がギルトに強弱をつけるのであろう。

 精神分析医のWeissという人が「無意識の罪悪感」という概念で明確にした。

 二つのギルトは無意識だから、私達は通常は解らない。しかし、思春期・青年期の自立の時、家族から離れて暮らす時、肉親を失う時に「無意識の罪悪感」が活性化されてくる。

 故郷を遠くに離れる人は「セパレーション・ギルト」が発動される。傷つかないように意識しないようにギルトの対象から離れ、遠くに遠くに身を置く。ポツンと一軒家に住む方、東北から出てきて実家と20年連絡を絶っている人、全くの推測だが野口英世もそうかもしれない。母を置いて出てきた(飛び出した)時の葛藤には自分が重なるから今ならわかる

サバイバーギルトは、サバイバーズギルトと混同されるが、サバイバーズギルトは、すでに「生きていて申し訳ない」と意識化されているギルトである。サバイバーギルトは、ベトナム戦争で生きのこって帰国した人の多くがうつ病、アルコール依存になったことで有名だ。彼らは、特に戦友を考え、日々の罪悪感に悩んでいたたわけではないが退廃に向かう死の本能が動かすベルトコンベアに身を置いてしまったのである。

 先日、東北地区精神分析セミナーの講義で話したが、精神分析を学ぶ人達は、自分を振り返る機会になったと語ってくれた。

 宇多田ヒカルさんは、おそらくセパレーションギルトもサバイバーギルトもあるであろう。でも、音楽、詩作、コンサートで「昇華」している。One Last Kissは、エヴァンゲリオンのテーマソングだが、本人は意識化しているかわからないが、忘れられない母(藤圭子)を歌っているような気がしてならない。老いて死ぬまで、退廃ベルトコンベアにだけは乗らないでほしい。

初めてのルーブルは なんてことはなかったわ
私だけのモナリザ もうとっくに出会ってたから
初めてあなたを見た あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感 


藤村邦&渡辺俊之の日々

精神科医をやりながら、小説など書いている藤村邦(本名渡辺俊之)のブログです。

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