花
母の命日の朝、墓参りに行った。花を買う時間もなかったので線香だけでもあげようと早朝、仕事前に出かけたのだが、誰かが小さな花をあげてくれていた。叔母なのか、教え子なのか・・・。誰だかわからないが、ありがとうございます。
たしか今年は十三回忌だが、母のことを思い出す人もいないのかと思ったら、どこかで心に留めてくれる人はいるものだ。人間はいずれは死ぬ。望まなくても死はやってくる。
生きることに絶望と悲しみと苦痛しかないとすれば死にたくなる人がいるのも知っている。
でも死んでしまうと悲しむ人がいることも確かなのだ。
再生不良性貧血で最後の半年、母親は病院から出られなかった。希望なく痛みと苦しみしかななかったと思うと辛い気持ちになる。先に死しかなければ、「この痛み」「この絶望」「この悲しみ」から逃れたいと気持ちもわかる。
安楽死論争のきっかけとなった母校の先輩は良い人であった。血液疾患にだけ焦点づけすれば何も考えることなく、治療を続けていたはずだ。ただ「生きることの辛さ」を感じ、懇願されれば心も動く。それだけ患者の近くにいたのだと思う。金をもらって安楽死に加担するようなな医者とは違う。
時々「安楽死」について聞かれることがあるが、正直「解らない」。すくなくても白か黒かで答える前に、その人にとっての「生」とは何か問う必要がある。
0コメント