尾崎豊
尾崎豊が好きだ。田舎の高校で悶々としていた当時の私の理想化対象が「自由」を代理で歌う尾崎豊だったのであろう。彼がニューヨークで薬に溺れ帰国、太った姿を見たときは悲しくもあり「ああ、だめだったか」と思ったが、息子が生まれた後に出した「誕生」で彼は復活した。
1980年から1990年代、私が分析的精神医学の研修をした境界性パーソナリティ障害病棟の患者達の枕元には尾崎のCDがあった。今日のBSで尾崎の特集をやっていたので、懐かしく見ていた。
尾崎を病跡学的に診断すれば境界性パーソナリティ障害という専門家は多いと思う。破壊性、アイデンティの問題、退廃、アルコール過飲とドラッグ傾斜、歌詞にでる見捨てられ感情と孤独。彼の内的世界にに同一化する若者は少なくない。
境界性パーソナリティ障害として病碩学に検討されている著名人は多い。太宰治、マリリンモンロー、ヘルマンヘッセ、ゴッホ、カートコバーンなど。破壊的、自虐的、退廃的で弱いけれども魅力に溢れている。誰もが抱える「無意識的罪悪感と生きることの不自由さ」を彼らはアートや作品で表現してくれる。
尾崎が歌うのは、薄っぺらな愛ではない本当の愛だ。愛するということは命がけなのだ。
0コメント