保健室の先生

 私は児童精神科の看板は、だしてないけれど、学んだ大学が児童精神医学のメッカであったので、ずいぶんと教育や研修も受けていた。顔が児童精神科医向きだから「児童をやりなさい」と、当時の児童精神の教授に無茶苦茶なこと言われたりもした。そのせいかどうか?

 ときどき小学生や中学生もやってくる。今でも保健室の先生のスーパーヴィジョンもやったり、学会での事例検討にコメントで参加するし、大学教員時代に博士課程にも養護教諭がいたので保健室という言葉に親近感がある。

 私は小学校にイヤイヤ行く子どもだった。幼稚園の時は選択緘黙のような子だった。しかし祖父が小学校の校医をしていたので、卒業写真には校長先生の横に祖父が座っている。

 当時の私の小学校の保健室には縁側があり中庭があった(気がする)。私はカガミ先生(たしか、この名前だった気がする)という保健室の先生に呼ばれて、お話をしていたのを今でも思い出す。あの消毒液の匂いも懐かしい。

 アードベッグというスコッチを飲んだ時に思い出したのは、消毒液だったし。

 で・・今になって思うのだが、当時の私は保健室登校だったのかもしれないと・・・。

 カガミ先生は祖父から言われて「お話相手」になってくれたんだろうとも思う。

 保健室から見えた中庭とカガミ先生のことは、時々思い出す。

 最近は地域の保健室というのが流行ってきているらしい。きっと保健室という言葉に懐かしさがある人が大勢いるからだ。

 私は小学校6年の時に、田舎の本屋で洋楽のシングルを買った。レコード売っているのはその本屋だけだった。並んでいたシングルのジャケット写真がなんだか保健室の先生に似ているような気がしたから(まったくの記憶違いかもしれないけど)。この前、レスリー・ダンカンという名前を50年ぶりに思い出した。不思議だ。無意識にはまだまだいろいろしまわれてようだ。

藤村邦&渡辺俊之の日々

精神科医をやりながら、小説など書いている藤村邦(本名渡辺俊之)のブログです。

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