中学で学ぶべきこと

 高崎で開業してから中高の友人に会うことが増えた。

 私は浪人で上京し都内予備校に通って「ものすごい連中」を知ったことが人生の転機だと思っていたが、最近は、その素地「憶することなく多彩な人と関わりが持てた自分」は中学にあると思うようになった。浪人時代、国立高校(くにたち)を出て七半バイクで予備校に通うAは東大に入り官僚になった。名古屋の一流校を出たBは某新聞社文化部で芥川賞担当となり、その人柄ゆえに多くの作家と交流している。マクドナルド勤務で米国にいるC、青年海外協力隊で紛争地域にいるDなど、多くの猛者を知った。自我が覚醒したのが都内予備校だったが、ああいう猛者に田舎者が適応できたのは、一つの価値基準だけ(例えば都会と田舎、成績、ダサい・格好いいなど)が自分を支配していなかったからだと思う。彼らにビビることがなかったのは田舎者のノー天気だとも言える・・・。精神科医になって思うのだが自我成長に最も貢献したのは中学だったと思う。田舎中学で多様な価値を学んだ。人の価値は職業とか成績とかスポーツ万能とかではなく「良い奴かどうか、それは他者思う気持ちがあるか」ということだ。結局そういう人間性を持っていた連中が一流になっている。(一流と定義することにも抵抗があるけどね)

 私が卒業した中学には玉村町全域から学生が来ていた。「統合中学」という名前に相応く、生徒の持つ価値もも地域も人間性を認め合い、自我が統合されたのだと思う。

 中学時代、貧困から金持ちまで、勉強出来ない奴から出来る奴まで、不良から優等生まで・・今思えば、みんな仲良くやっていた。あの時代、嘘も見栄もエリート意識もなく関わりあった。(私の知る限り)いじめだとか、そういうものは無かったように思う。

 無意識のうちに多様性を認めあっていたのだと思う。同調圧力もあまり感じなかった。人それぞれにそれぞれの価値があり生き方があり、尊いと思うことを学べた気がする。

 

 

藤村邦&渡辺俊之の日々

精神科医をやりながら、小説など書いている藤村邦(本名渡辺俊之)のブログです。

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