黙示録の騎手
依頼原稿を書くので、研修医時代に読んで勉強した「青年期境界例、マスターソン著」をもう一度読んだ。その中の「見捨てられ抑うつ」の章の冒頭は心にずっと残っている。
精神医学における六人の黙示録の騎手——抑うつ、怒り、恐れ、罪責感、孤立無援感、そして空しさと空虚感——は、感情的影響力と破壊性という点で、もともとの四人の騎手——飢餓、戦争、洪水、疫病——のもたらす社会的混乱と破壊性に匹敵している。
マスターソンは、境界例がもつ感情を「見捨てられ抑うつ」と命名し、その中身は、抑うつ、怒り、恐れ、罪責感、孤立無援感、そして空しさと空虚感だと述べる。抱負な臨床経験からくる記述には圧倒される。
私は冒頭の記述から、表面的には過剰適応して普通に見える境界例が嵐のような凹みに襲われている時の感情が、少しはわかるようになった。それに自分にも思い出がある。大学時代、安アパートに一人、夕方になると見捨てられ抑うつのような感情がやってくることがあった。そうなるともう駄目で、ギターを弾いて、アルコールを飲み、パチンコ屋を彷徨って散々負けたりした。こんな体験もあったから、今でも多少は境界例の感情はわかる。
フロイトに言わせると人間には「死の本能」があり、それは、時に人を自己破壊や退廃ベルトに載せてしまうという。その背景に無意識的罪悪感を想定している。
田舎に暮らす母親を忘れ遊びほうけていても「セパレーションギルト」が活性化して、退廃的生活に傾斜しそうになっていた自分を思い出す。
ま、こういう体験が多少なりとも臨床には役立っていると今では思う。マスターソンの本には境界例の人達の「作品」短編小説みたいなものが出ている。それがまた良い。若い頃、この作品群に惹かれたことが、小説など書きたくなった原点にあると、改めて思う。
孤独な夜の断崖に立つ時・・やることはまだある。
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