発達障害の思い出
私の専門は精神分析と家族療法で児童・青年精神医学は看板を出していないのだが、それでも児童精神医学発祥の地で、かなり研修をした(させられた)ので、中学生・高校生くらいは来ている。
あれは、クリニックを開業して3ヶ月目くらいだった。
都内でライブとかやれている女子高生が来た。忘れ物、約束忘れ、同時処理が出来ないなど注意欠陥多動障害の疑いがあった。生育歴と発達特性の検査をやって診断した。
注意欠陥多動障害にはSEKAI NO OWARIのメンバーもいるし、モーツワルトもそうだったし、私は彼女に正直に診断を告げた。
「才能があるから東京で頑張りなよ」という気持ちもあったが、やっぱり否定したかったのだろう。「トイレで一人泣いていた」と、当時の受け付け女性から後から聞いた。
その後、彼女は来なかった。でも、きっとどこかで頑張っていると思う。
あれから「注意欠陥多動障害」は市民権を得たのか、外来に来る人が増えた。でも、当時のことを今でも思い出すと「申し訳ない気持ち」になるのは反省に加え、娘に向けるような気持ちが残っているからだと内省している。
0コメント