墓参りに思う

浪人時代に世話になった恩人の墓参りに行ってきた。私は駿台ではなく代々木ゼミナールに行っていたのだが、その近くに浪人生がたむろする喫茶店「代々木茶房」があり、そこには、東京や地方の浪人生がたむろしていた。その喫茶店のママさん、私達は「おねえさん」と呼んでいた。

 田舎から出てきて知人もいない私を、喫茶店の仲間にしてくれて、知り合いもできた。当時の仲間はもう定年だ。バイク乗りで遊んでたAは東大に入り官僚になったらしい、名古屋からきた生徒会長だったBは某新聞文化部で芥川賞担当、多くの作家の友人だ。JICAで各国の支援に関わっていたCなど、とにかく大海を知る入り口になった。

 代々木茶房は、田舎者の私の見識を広げてくれた。今でこそ、群馬と東京は近くなったが、あの頃は遠かった。大学に入っても「おねえさん」との付き合いは続く。下北沢の塾のバイトなども紹介してくれた。医者になってからも代々木茶房仲間で会ったりもしてた。15年前、お姉さんは大腸がんになり、3年前に亡くなった。念願だった墓参りに先週末に行ってきたのだが、町田近くの樹木葬の墓苑だった。

 一人に一本の木だと連想していたが、そうではない。木々の下に遺骨が埋められている。木々を埋葬者でシェアする形式だ。やがて森になるのであろう。木々の脇のプレートに名前が入っていて、隣にはA家先祖一同なんてのがあったり、ペットと一緒に入っていたり・・

 私は感銘を覚えた。結局、人は地球生命体の一部、死んだら土に返り、ペットでも先祖でも誰でも、一緒に自然に戻り、木々の栄養になればよいのだ。

 なんだか、墓石の下の小さな狭い場所の骨壺の仲にいるより、大地に戻る方が良いと思ってきた。いろんな葬儀のかたちが出来てきたが、海への散骨などもあるのだろうが、やはり、残った人が墓参りできる場所はあったほうがよい。1000年後、その木々はあるかはわからないが、その木々はまた土に戻っているはずだ。

 こんなことをブログに書くと「先生、再発したんですか」と心配する知人や患者さんがいるかと思うが、大丈夫であります。元気ですよ!

藤村邦&渡辺俊之の日々

精神科医をやりながら、小説など書いている藤村邦(本名渡辺俊之)のブログです。

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